2008年07月30日

家族全員集合写真は柩に入れないで・・・。

 「ビニール製ハンドバッグ、靴、寝具、釣竿、ゴルフクラブ、テニスラケット、めがね、大きなおもちゃ、びん缶類、ガラス製品、プラスチック製品、貴金属、スプレー、ガスライター、辞書、携帯電話、CDプレイヤー、果物等々」
 書き出したのは、引越し用荷物ではありません。
 柩に入れてはいけないものを各火葬場のパンフレットから拾ってみました。
 ご遺体と一緒に火葬されるためには焼け残ったり、ご遺骨にくっついてしまっては大変です。また現在では環境への汚染源での一つ、ダイオキシン類に注意する必要があります。
 そんなこんなで柩に納めるものも大分限定されてしまったようです。
 せめて「故人の愛用品を柩と共に」ということも、かなわぬ夢となってしまいました。
 それでも生前愛用されたお着物や友人からの寄せ書き、写真、など思い出の品がお花と一緒に入れられます。
 少し前、長患いの末にお亡くなりになられた方は病室に代わる代わる訪れたお孫さんたちの手で千羽鶴が折られ、その千羽鶴がお孫さんの手で納められ、最後までお孫さんたち全員15名に囲まれての旅立ちになりました。
 また、同じような柩にいれる折鶴でも、葬儀社の方でご用意する折鶴もあります。
 当センターの賛同社の中には最後のお別れ花の代わりにしている社があります。
 担当者いわく、「最近は通夜の会葬者が増え、明日の葬儀に来れないから今日お別れしたいという方のために、祭壇のお花が切れないので、お花の代わりに折鶴を差し上げています」とのことでした。一方で、できるだけ経費を抑えようとして祭壇を造花祭壇にしている方のためには、生花に代わり、色とりどりの折鶴で柩を埋める場合もあるそうです。
 カラフルな折鶴はお花とは違ったインパクトをもって迫って来るようです。
 
 先日のご葬儀では写真を柩に入れようとして、ベテラン担当者から待ったがかかってしまいました。
 お花入れが始まってまもなくご遺族は家族全員で撮った写真が自家用車の中だと気づき、慌てて取りに行こうとしましたが、「集合写真はひっぱられるから柩に入れないでください」と云われ残念ながら入れるのを見送ったとのことです。
 昔からの言い伝えには逆らえません。皆さんまだまだ現世に未練がありますから。
posted by あさがおスタッフ at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | (松)

2008年07月29日

葬儀社紹介の仕組み

あさがお葬儀社紹介センターのブログをご閲覧いただきまして、ありがとうございます、

葬儀社紹介センターという存在を知らなかった自分は、
葬儀のことなら、葬儀社へ直接問い合わせをすればいいものだと思っていました。
もちろん、直接葬儀社へ問い合わせしても構いませんが・・中には、
料金表の明細がなかったり、見積書があやふやであったり、許容を超えるような値段がつけられていたり(たとえば、火葬場や霊柩車の値段は決まっているのに、それに法外な金額が上乗せされているなど)、見積書と請求書の整合性がとれていない葬儀社もあるそうです。

ですから、いきなり葬儀社へ問いあわせをする前に、葬儀社紹介センターへ
相談をしてください。

下記のページで、当センターの紹介の仕組みを詳しく説明しております。
http://www.asagao.or.jp/support/kijun.html

ぜひ、ご覧下さい。

posted by あさがおスタッフ at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | その他

2008年07月24日

花の命は短くて・・・、ご葬儀とお花の関係は如何に・・・。

 最近のご葬儀はお花を抜きに成り立たないのではと言っても過言ではないほど花に囲まれています。
 その顕著な例として、今や祭壇と言えば花祭壇が従来の白木祭壇に取って代わり主流になりつつあります。
 特に価格を抑えた家族葬用の花祭壇が目に付くようになり、それで一気に拍車が掛かった感があります。
 また、花祭壇ですと頂いた供花をアレンジして祭壇に組み込み、より豪華に見せることもでき、葬儀社によっては逆に組み込むことで祭壇費用を抑える工夫を提案するところもでて来るなど色々と応用が利くのも一因があるようです。
 
 供物としてのお花は供花として祭壇両脇に、喪主を筆頭に子供一同、孫一同と並びます。供花はあくまでお気持ちですので強制ではありません。しかし、ご家族のお花はいつの間にか1対ずつが定着してしまったようです。
 なぜ1対ずつなのか理由は定かではないようで、この道何十年のベテラン担当者に聞いても1対でなければという確証は得られませんでした。
 確かに1対ずつの座りはよく、絶妙に祭壇を引き立てています。
 葬儀社で一括できる供花は祭壇とのバランスで花の種類や色合いを決め、祭壇との一体感を匂わせることができます。
  
 その満開に咲き誇った色とりどりのお花も告別式が終るや、後飾りと菩提寺用のお花を残して一気にむしり取られ、柩に手向けられます。
 巷のうわさではよく供花のお花だけを使用して、祭壇のお花は他のご葬儀に使いまわししているようなことを耳にしますが、立会いで見た限り、今まで1件も見当たりませんでした。
 お花が摘み取られた祭壇は見事に葉っぱのみの無残な姿だけが残っています。
 代わりに柩の中は溢れんばかりのお花畑です。
 
 柩の中のお花は何を表すのだろうか。
「あちらの世に行って花園に包まれた生活を送って欲しいという願いを込め、幻想を描いて柩いっぱいにお花を手向けるのでは」
ベテラン担当者の声を聞き、思わず手を合わせていました。

 
posted by あさがおスタッフ at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | (松)

2008年07月21日

永代供養の合同墓がトレンドになる予感は・・・

 最近とみにご葬儀後の相談を希望される方が増えて来ています。
 中でもお墓に関する問題を多く耳にします。
 面倒なことは後回しにとされてきたものが、急に現実みを帯びて慌てて相談されるようです。
 菩提寺があり、納骨もスムースに行かれる方は別にして、都会ではお墓を持つ計画も立っていない方が大勢いるというよりは益々その傾向にあるようです。
 お墓を持たない理由も様々です。お子さんがいないご家庭、いても一人娘で結婚し家を出て行かれたご家庭、離婚されれた方、結婚されていない方、お子さんに負担をかけたくない方、家族とは別に自分だけのお墓に入りたい方、お寺とはかかわりを持ちたくない方等々。
 お寺サイドもお子さんのいない方は供養ができないからとお断りするようで、お墓離れに拍車がかかってきたと思いきや、最近は合同墓の永代供養墓がにわかに脚光を浴び始めています。
 かっての合同墓は身寄りがない方をまとめて供養するというマイナスイメージの強いものでしたが、より積極的に安価で周りに気兼ねすることがないという現代生活にあった供養の選択肢として見直されているようです。
 合同墓といっても、様々な形態があり、最初から不特定多数の方とご一緒する場合と一体ずつ納骨され数十年後にご一緒される場合、また何年たってもずっと一体のままの場合があり、さらに気の合った友人と一緒に入ることができたりと生活にマッチした供養の仕方が日々さらに検討されているようです。

 そんな積極的な合同墓の話題が先日新聞に取り上げられていました。家族に頼らない女性の生き方を応援するNPO法人「SSSネットワーク」の活動の一環として、自分らしく今を生きる女性の落ち着き先を共同墓に見いだし応援していました。
 10年、20年先従来のお墓の概念も様変わりし、合同墓が当たり前の時代が来るかもしれない。そんな予感さえも感じさせる昨今です。
 
 
posted by あさがおスタッフ at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | (松)

2008年07月18日

「千の風になって」なぜヒット?

 (松)さんから、私が読んでいなかった、ここ数ヵ月の葬儀・仏事関連の記事が掲載された新聞の切り抜きを見せてもらいました。

 その中で一番面白かったのは、朝日新聞の「『千の風』なぜヒット」という記事でした。
 ♪ 私のお墓の前で 泣かないでください ―― テノール歌手の秋川雅史さんが歌う、あの曲です。ミリオンセラーに達したそうです。

 記事では、「変わりつつある日本人の死生観が、このヒットの要因と見るむきもある」として、何人かの識者のヒットの要因分析が紹介されていました。

 作家の新井満さん(「千の風」はもともと作者不詳の英語詞を新井さんが翻訳して曲をつけた)は、次のように分析しています。
 「死者が生者を思いやる。その発想に驚かされた」と詩の魅力を語り、詩の世界観について「万物に精霊が宿るというアニミズム。どんな人にも最古層にある宗教観だ」と指摘して、歌のヒットの要因を「八百万の神という言葉があるように、日本人になじみがある考え方を、目覚めさせたのではないか」と。

 一方、東大の島薗進教授(宗教学)は、「千の風」の世界観を「死者と生者の関係が非常に近く、個人的だ」と見ています。
 これまで身内が亡くなれば、地域共同体、そして家制度において死者との一体感を維持してきたが、共同体の機能がうしなわれてきて、「死者との交わりが個的になり、痛みや苦しみも個々人で抱え込んでしまっている」と時代背景を分析しています。それゆえ、「こうした時代を生きる人たちには、『風になって空を吹きわたっている』死者との交流がストレートに胸に響くのだろう。」と歌のヒットの要因を記者さんが補足しています。

 恥ずかしながら、この記事を読んで、この歌が「死者が残された人に語りかけていた曲」なんだと初めて知ったような人間からしますと、歌のヒットの要因を日本人の死生観の変化にまで結びつけて記事にした記者さんに、あっぱれだと思いました。
posted by あさがおスタッフ at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | (道)