2008年08月30日

団塊世代が考えるお葬式とは・・・・。

 先日、ある新聞社の記者の方からご葬儀のことでお電話を頂きました。
 中で「特に中高年からの相談でどんなことに関心が高いのか知りたい」との質問がありました。
 
 実際、電話口やメールで頂く問い合わせは老若男女様々です。
 少し前までは若い方の方がご葬儀に関する話題の抵抗は低いように思われましたが、中高年と言われて改めて見渡すと、最近、年齢別のタブーはあまり感じられなくなってきています。
 特にここ1〜2年の傾向は顕著のようです。
 マスコミに取り上げられる機会が増えたこともありますが、なんと言ってもインターネットの普及が第1に挙げられると思います。
 永年タブー視されていたこと、聞きづらかったことがおおやけにされ、年齢を問わずアクセスできる強みが大いに発揮された分野の一つではないでしょうか。
 定年を迎えた団塊世代が自身のこれからの生き方を問う問題と、親御さんを見送る問題がクロスし、クローズアップされてきています。
 重い家制度ではなく、家族単位の生き方が定着してきた最初の世代でもある団塊世代が、ご両親の見送り方を自身の生き方として捉え、周りに気兼ねすることなくご家族・ご親族のごく親しい方々中心に実行される方が増えてきています。
 この傾向はさらに拍車がかかることでしょう。
 会社という枠の中から個人に戻り、これから自身のしたいことを中心に活動したいと模索している団塊世代の発言はどの業界も目が離せないようです。
 
 




 
posted by あさがおスタッフ at 18:34| Comment(0) | TrackBack(0) | (松)

2008年08月29日

センターの特長

あさがお葬儀社紹介センターのブログをご閲覧いただき、ありがとうございます。

当センターの特長を紹介しておりますページをご紹介いたします。
http://www.asagao.or.jp/support/soui.html

他社との相違点、各葬儀社の特徴を把握し最適社の紹介するなどといった内容をご説明しております。ぜひご覧下さい。

posted by あさがおスタッフ at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | その他

2008年08月24日

「供花はどうしても必要なものですか?」

 「供花はどうしてもあげなくてはいけないものなのですか」
 葬儀社から取り寄せた概算見積書をお送りした後、依頼者の方との電話口でのやりとりです。
「あくまで故人様に対するお気持ちですので、強制ではありません」唐突な質問に言葉を詰まらせ、そんなお答えをした覚えがあります。
 仕事で半ば慣例化されたようになってしまった事柄も、一つ一つ問い詰めていくと、現在では必要のないものも出てくるかもしれません。
それぞれのご家庭により、またその方によりご葬儀の基準も多種多様になって来つつあります。
 でも、お気持ちだけはできるだけ残したいものです。合理的にどんどん削っていけば、お花なんて必要ないかもしれません。
 葬儀社の担当者に伺うと、「ある本にこんな一文がありましたよ」と知らせてくれました。

 「慈愛、忍辱(にんにく)の徳を表わし花を捧げることにより、清らかなやさしい気持ちで仏様を拝み、自身が慈悲の心を持ち続けたいと願うもの・・・」
 
 仏教の修行で個人だけでなく、他人をも悟らせる教えの六波羅蜜に「忍辱行」というのがあり、「忍辱」とは耐え忍びこらえる事だが、耐えることでポジティブに自分を育てることになるとのことです。
 お花を捧げることで自身もその心を持ち続けたいということであれば、どんな形であれ、あげる、あげないの問題ではないように思われますが・・・。
posted by あさがおスタッフ at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | (松)

2008年08月22日

これからのお墓選びはその人の生き方にかかってくる・・・。

 久しぶりのお墓参りや新盆で大忙しのお盆も終って、皆さん再び都会の雑踏に戻っていらっしゃいましたが、昨今、その菩提寺とのトラブルを耳にすることが多くなってきました。
 それもご葬儀を機に不満が頂点に達してしまい、双方気まずい雰囲気になってしまうケースがよく聞かれます。
 どちらかといえば古くからの檀家の方よりも、あたらしくお墓を買われた方や、1代前に買われた方からの不満の声の方が大きいようです。
 原因はそれぞれですが、古くからの檀家の方は昔からの家中心で、代々の墓を守る体制ができていますので、多少のことは目をつぶれます。
 しかし、新しい方は現在の菩提寺とのかかわりを重視するため、意見が合う合わないがトラブルの一因になってしまい、ご住職との相性が問題視されてしまっているように思われます。
 そのために、半永久的と思われていた菩提寺と檀家の関係も流動的になってきているようです。
 お寺サイドもそれを見通してか最近はお客様のニーズに応えるような積極性を見せ始めています。
 少子化やシングルライフの傾向に合わせるように永代供養形式の合同墓ができると、永代供養の限度の33回忌もご夫婦の後から来た方の33回忌に合わせて合葬するようにしたり、分骨でもお預かりしたり、宗派は問わず無宗教でも受け付けたりときめ細かな対応がされるようになってきています。
 生活様式も各人各様、お墓の選択はその方の生き方にかかってくる時代になっていくのでしょうか。
 
 
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2008年08月18日

一時的に栄えて消えてゆく葬儀社

 現状、葬儀社をやるのに行政庁による許認可は必要ありません。それゆえ、明日から誰でも葬儀社をやろうと思えば葬儀社を始めることができます。 特に都心部では、新しく葬儀社ができたり、消えていったり、出入りも激しくなっていて、葬儀社の数を正確に把握するのさえ困難です。

 余計なお世話ながら、さらには、他人事ではないので(否、他人事ではないからこそ)、私は、どういった会社が長続きしないのかということに大いに興味を覚えています。

 京セラの創業者である稲盛和夫氏であれば、仕事の結果=考え方×熱意×能力、という方程式に照らし合わせて、熱意と能力があっても、考え方が間違っていれば没落していくと喝破されるでありましょう。

 どういう考え方が間違っているのかの本質的なことは、稲盛氏の本を読んでもらうしかありませんが、他業界にない葬儀業界に特有とでもゆうべきこととして、私が思っているのは、生活者(消費者)をばかにしているところは、ダメだろうなということがあります。

 たとえば、ばかにする意識はホームページの表現でみると大体わかる感じがします。誤解を与える表現や、誇大表現、情報を手前勝手に解釈したりしています。生活者が葬儀については何もわからない素人だということを前提にして軽く見ているわけです。葬儀の情報は、たとえば自動車や住宅、家電のように楽しみを伴って自ら進んでどんどん情報を得てやろうと思うような類でないという葬儀業界特有な背景です。

 しかしながら、リンカーンの言葉に、「すべての人を一時的にだましておくことはできるし、一部の人をいつまでもだましておくこともできる。しかし、すべての人をいつまでもだまし続けることはできない」というのがあるそうです。うなずくばかりです。
posted by あさがおスタッフ at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | (道)