2008年11月27日

ベストセラー「大往生」から14年後の現実は・・・。

 永六輔著「大往生」という本が14年程前にベストセラーになりました。
 これからの高齢化社会に対処すべきことを、マスコミが取り上げた最初のブームのころでした。
 一般の人が発した言葉を軸に書かれている本は病の章で「癌」の告知について、告知できる技術を持った医者が告知されても受け入れられる能力を持った患者とめぐり合った時だけに限られるべきだ。医者たるもの、心優しく現実に立ち向かう学習をしてほしいと書かれていました。
 告知はそれ以前から言われていましたが、患者の心の準備など無視した医者サイドの一方的な報告が多かったようです。

 それでは最近ではどのような変化が起こっているのだろうか。
 その変化の兆しとして慶応大学医学部にはお坊さんによる授業があると、朝日新聞が報じていました。
 授業は宗教を語るのではなく、、実際の現場での患者への接し方をロールプレーイング(役割演技)で学生にやらせ、答えのない難しさのなかに仏教の教えを伝えていくとのこと。
 学生達も将来の医師の役割を考える材料になるのでは。
 10年経って、ようやく兆しが見えてきたようです。

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2008年11月24日

 担当者は 「一期一会」の気持ちがなにより大事

 「一期一会」とはご葬儀のための言葉ではないかと思われるほど、ぴたりと当てはまるようです。
 ご葬儀の立会いに伺うようになって3年余り。
 斎場に一歩入るといつもまずこの言葉を思い浮かべ、おもわず襟を正すようになりました。
 葬儀担当者を始めそれぞれの部署の担当者が、どれだけ一期一会の精神を汲みとり臨むかで、ご葬儀の良し悪しが決定するのではとまで思われます。
 「生涯のうちで今日という日は2度となく、今日のめぐり合わせはあくまで今日だけのことである」と言う意味合いから、後がないご葬儀に一つひとつどれだけぶつかっていけるかが鍵になるようです。
 ご喪家のご要望をキャッチし、どうすれば最良の方向に持っていけるか問題が山積するほどさらにファイトが沸く担当者も多いようです。
 
 通夜の席で供花が傾くアクシデント見合わせられ、ご喪家の肝を冷やしたが、誠心誠意事にあたり、逆に信頼を得た担当者。

 通夜のお清めの席上でご住職(元校長先生)に葬儀の采配ぶりを褒められた担当者。

 ご家族・ご親族30名のみの通夜に10倍近い会葬者がお見えになり、ご喪家に恥をかかせないように、読経の後、急遽柩を前に出し、ゆっくりとご対面をしていただき、
お清めを遅らせ、追加の料理で間に合わせた担当者。

 数え上げたら、枚挙にいとまがない位です。
 今「一期一会」の言葉を改めてかみ締めています。
 
 
 
 
 
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2008年11月21日

「自然に生きて、自然に死すこれが80歳の心境です」と語る舞踊家

 「昭和の初め、お寺は町のサロンだった」と九州出身の大先輩の友人はよく話していました。
 当時のお寺は子供達を集めて色々な催しや踊りの会が頻繁に行なわれ、町内の社交場の拠点でもあり、自然な形で町に溶け込んでいたようです。
 ご住職はお寺を守るだけでなく、子供達に踊りを教える舞踊家でもあったのです。
 お父様の教えを守ってきた娘さんもすでに80歳になろうとしています。
 その80年の人生を振り返った近況報告におもわず拍手。
 娘さんは親への反発も手伝い、お寺に生まれながらにしてお気持ちは無宗教で、懐かしさもあり線香の匂いに心が落ち着くが、葬式無用の信念は変わらず、形式的儀式は不要で、大切な方々との惜別の情は深く心に残っているが、自分の胸中に故人が生きていることが最高の供養ではないかと報告されていらっしゃいました。
 宗教的信仰ではなく「土から生まれて、土に還る」と言う言葉があるように、死とはいのちが生まれた根元の場へ還って行くことだとすれば「逝く」のではなく「還る」ことで、大いなる母胎回帰だとのことです。
 また、ダンスは自然体でなければ、身体に不要な力が入っていると踊れない。力を抜いて自然体になった時、本当の動きがでてきますと。
 身体も心も自然体であれ。自然に生きて、自然に死す。これが80歳の心境だとのことです。
 私の今後の課題でもあります。
 
 
 



 
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2008年11月18日

伝説的コピーライターが書いた名著

 ここ2週間ほど時間のある時に、「ザ・コピーライティング」(ジョン・ケープルズ著、ダイヤモンド社、3200円)という本を読んでいました。
 書名からして広告関係の人が多く読まれるのでしょうが、広告関係の人だけに読ませておくのはもったいないような本です。

 インターネットが普及し、誰でもほとんど無料で情報発信できる環境にある現在、不特定多数の人に向けて言葉を発する機会のある人には、参考になる事例が山のように詰まっている本です。言葉の持つ力を改めて知ることができます。

 現在オグルヴィ&メイザーとして知られる国際的大手広告会社をつくった、デイヴィッド・オグルヴィをして、「この本は間違いなく、いままでで一番役に立つ広告の本である」と言わしめました。

 ケープルズは、「私がピアノの前に座るとみんなが笑いました。でも弾き始めると――!」の名コピーを考え出した人です。今から80年ほど前、音楽学校の通信講座のコピーとしてです。

 ただ、名コピーを生み出す能力もさることながら、ケープルズの本当のすごさは、オグルヴィの次の言葉がよく表しています。
 オグルヴィは、「成功(最大限の費用対効果)へのカギは、広告のあらゆる要素を絶えずテストすることにある。」を、ケープルズから学んだこととして一番先に挙げています。

 要するに、例えばどのコピーがいいのかは実際にマーケットにきいてみて、その結果だけを重んじるという一貫した姿勢です。テストを繰り返して効果を検証するという手法です。(もちろんマーケットにきくべき材料は用意しないといけませんが)

 どの業界でもそうでしょうが、競争の激しさや不況のせいなどと言い訳をしてみたところで、事業が継続・成長できないのは、マーケットに支持されないという厳然とした事実と重なって思えました。
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2008年11月16日

お布施代について考える・・・。

 先日依頼者から「斎場として以前親戚のものが葬儀をしたお寺ではどうか」との相談を受け、先方に問い合わせてみたところ、檀家になっていただいて院号の戒名の方のみ本堂でご葬儀を執り行いますとのお話でした。
 ついでに恐る恐る戒名のお値段をお伺いすると「こちらでは200万円以上」とのことでした。

 以前、都下の寺院で檀家の方が本堂でご葬儀をされた時もこれ以上の金額だったことを葬儀社の担当者から伺ったことがありました。
 同行した担当者は中座させられ、ご喪家の依頼者とご住職とが直にお話をされたようです。
 檀家で院号を付けると200万〜300万円が相場となる・・・?。
 これに葬儀費用が加わる
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